2009年10月31日土曜日

次なる構想

農業大学校上の夕日
秋が深まってくる。季節は過ぎる。あっという間に11月に入ろうとしている。こうして歳を重ねていく。10月が何となく過ぎてしまった。去年あたりから県内の公募展もパス。個展活動だけに焦点を絞って作品を創る。ひとりよがりになってはなるまいと念じつつ臨書を軸に技術の劣化を抑える。作品もワンパターンにならないようにアンテナを広げる必要もある。金文、甲骨文字を中心に作品を創りたい。会場をシュミレーションして構想を練る。小品が主だけれどそれだけでは設営上会場が持たなければ大きい作品を考える。さて、ある会場をイメージしてその中にどのようなテーマで作品を並べるかをシュミレーションしていく。金文を3尺×8尺に書くとすればどの文字を使うか?これからが楽しい作業になってくる。・・・・・・

2009年10月30日金曜日

森で心が遊ぶ

午前11時頃から畑で過ごす。草抜きをしているとすぐお昼。お弁当を食べて少し読書。いつもならここで呼吸法をやるのだが今日は来るのが遅かったので腰は痛くないし呼吸法は省略。
「続・気の人間学」を読んで何回も自分の中にインプットを繰り返す。読み返すのがこれで三回目ぐらいになるがそのつど読みこぼしや再確認をして自分を納得させていく。この作業はひとりで訓練をする時はとても大事な事だと思う。あまりあれこれ手を出さないでひたすら目標を定めて邁進する。そのうちわずかな光が見えてくるようになれば後はしめたもの。書もこのようにして訓練して来た気がする。納得して次に進む。ひとりよがりにならないようにいつもそばに指標を置いておけばきっとうまくいく。そして訓練は楽しいものになる。階段を上がっている感触が掴めてくるから。
「気の人間学」は私にとってはバイブルみたいなもの。理屈がわかるのは自分を励ます。確認しながら歩む事ができる。西野教室に時々行って自分の進度を試すのも必要なのだ。知識は多い方がよい。忘れてしまう物は自分に必要ないものとして諦め自分の能力に応じたものが残ると考えれば楽だ。

読書のその後は畝を作って堆肥をまく準備をするが今日はここまでで五時を過ぎる。生ごみコンポートの脇は土が肥えているので大根の種を播く。如何なものか?肥やしなしで。
あの草山が見違える位さっぱりしてほんとに気持がよい!  畑で過ごす時間は心にノイズがなくてスポーツをした後のようなさわやか感がある。つれあいは「遊び」とのたまう。がこの幸せ感は判らないだろう。

2009年10月29日木曜日

ルンルン 畑




            
           今日と明日は仕事が休み。5週めはお稽古がないので久しぶりに畑へ。先々周大方草を片付けていたので残りを今日一日かけて終える。苦土石灰を撒いて野菜を植えられるようにしておく。二週間前に草を片付けた跡から小松菜のベビーリーフが出ていて、可愛そうだけどその上に石灰をまいてしまう。ホウレンソウなどは石灰なしでは芽が出ない。こぼれ種なので亦出てくるだろうから。


明日は種を播く準備をしよう。


2009年10月24日土曜日

星の夜の音楽会


木城えほんの郷で「4本のサクソホンの調べ」の音楽会がありました。まるで4本のサクソホンが楽しいおしゃべりをしているような音楽会でとても感動しました。生演奏は魂に語りかけてくれます。涙がおもわずこみ上げてくるほどでした。虫の音色も負けないくらいバックミュージックで流れて野外の演奏を堪能してきました。自然の演出の素晴らしさは神さまのおくりもの・・・・スタッフの皆さんにも感謝です。

水のステージ 

演奏者
平野公崇 西本淳 

加藤里志 大石将紀




森の芝居小屋
暗くなってからのから水のステージ

2009年10月23日金曜日

サイババ・・・に引かれて

青山圭秀さんの著書を片っ端から読む。「理性のゆらぎ」「アガスチャの葉」「サイババの真実」「愛と復讐の大地」「サンカルパ」「大いなる生命学」  
インドは仏教の故郷位の知識しか持ち合わせていなかった。今の時代はITで、とても優秀な人を輩出する地、インドとはそのような所。ところがこれらの本を読んでいくと忘れていた事があった。そうだ、私の懐かしい感覚のチベットの先の地ということを。チベットが原点ではなくてインドだったのではないか。チベットの「第三の目」に引かれてチベットの神秘を想うようになったけれど、インドはそれにも勝る位また神秘なのだ。我々が享受している世界をはるかに超えた原始的であっても本物の世界があることを識る。青山さんの著書を読むと今の我々の生活が何とも上辺だけを装う、精神的なことの抜け殻に向かって進む様を感じてしまう。大切な物に気つかないで生きてきている。物の豊かさは精神の荒廃をきたす。愛するということも忘れてしまう。60年近く生きてきたのに、何を見てきたのだろう。なんと東洋の神秘は豊かなのだろうか。チベットを懐かしく想う、感じるところは自分のどこからくるのだろう。

しばらくこの著書を読みながら考えていこう。

2009年10月16日金曜日

2010 カレンダー


昨日から画像取り込みが出来て取り敢えず身近な物にトライしてみる。やらないとすぐ忘れてしまう。今日は今回個展のとき売り出したカレンダーを撮影。ケース入りで1000円で販売しています。若い方に人気があって皆さまに見ていただきたいです



2009年10月15日木曜日

呼吸法のその後

先月はじめて西野先生との対気が出来たのだけれどさて、その成果はと言えばなんだろう?ふんわーりした気を感じた他はこれといった顕著なものは何もない。いつもの指導員の方から受ける気はもう少し荒い?気がするのだけど。何しろ目に見えないだけに感覚だけのもの。その時の気分,情況、知識さまざまなものの絡みで違ってくるだろう。現在の私のレベルはここまでの認識しか出来ない。でも、西野先生との対気の前後し、「おや?」ということがある。それは、朝日を受けて呼吸法をする時以前より輝く光を瞼に視ることが出来る。脳裏から正中線に沿って一本の光の帯を呼吸と共に上下させられる。何となくの光が輝く光に代わりつつある。何時もとはいかないのだけど、朝日ではない時に一回それをかんじたことがある。毎度輝く光を意識して観ることができればレベルアップかな?

身体で知識を再現することは易しいことではない。何でもスロウーで感度も今一だからゆっくり構えるより仕方がない。だから、本当にちょっとした進歩にも喜びを感じてしまう。!! 今回のこのささやかな変化をとても有難く思う。 呼吸法に感謝。

2009年10月14日水曜日

森の花たち





秋の恵
戯れる花
生命力旺盛

2009年10月12日月曜日

ライブ書の行方

シビックセンターの個展で3枚揮毫、篠笛の先生とのコラボレーション。その中の2枚は不思議な繋がりの方に貰われていったようだ。偶然か必然か?と思ってしまうほど。抽選なので私が混込んで掴んだもの。誰に当たってもよいのだけど、結果は不思議な現象として表われる。「ホ・オポノポノ」はそれを数日前に読んだ人、しかも音楽家でヒーリングミュジックをこなす人でそのCDが送られてきた。私好みでピアノと尺八の演奏。もう一枚一番大きな作品は篠笛の先生と私を繋げた人の音楽事務所の人の手に。作品は行きたいという意志があるみたいに感じてしまう。私の元を離れたら一人歩きをするわけだから、まるで人格(書だから書格?)があって好きなところに行くのではあるまいか。物質にも気が宿る。

「サイババの真実」、「理性のゆらぎ」、「アガスチアの葉」 三冊を読んだばかりで不思議な宇宙の繋がりを実感している。・・・・・・サイババに会いたい。

2009年10月2日金曜日

秋色紫陽花


梅雨からずーと頑張っている紫陽花。木々の下でグリーンの紫陽花は切るに切れない。お店でグリーンの紫陽花は「秋色あじさい」として売ってある。品種が異なるかも判らないけれど正しく我が家のそれも同じに見えて切れないのだ。今日はどっさり切って来て部屋中かざる。7月の終りに加谷さんの展覧会にも飾ったのだけどその時とほとんど遜色ない。生命力が強い。声掛けをするといつまでも元気。花も生きている。こちらの言う事が判るように感じることがある。ちゃんとコミニケーションできる。

暫く木々たちとご無沙汰だったので椎の木に触ってくる。今年は柿がまだ実をつけてくれている。例年は今頃は皆落ちているけれど、今年はヘタをつけたまま熟したようになって落ちる。新しければ食べられる。木の下で戴く。美味しい!今年は願いが叶った。「食べさせて!」とお願いをしておいたのだ。
レモンの木は枯れつつある。一抱えある樫は立ったまま枯れていたのが根元から倒れている。キンカンをかすめて枝を少しへし折っているようだ。しばらくご無沙汰すると畑の皆は荒れ模様。コスモスは見通せないほど背をのばし雑草は一杯の種を付けている。種が全部発芽したらもう全くの草のジャングル。トホホホ・・・
草の悲鳴が聞こえそう。さあ、なかなか出掛けていく踏ん切りがつかない。
本当は癒しの森なのに。